特別対談・岩下桂太×一色翔太「今、『ロボッツ』を話そう」②

取材・文:荒 大 text by Masaru ARA
撮影:茨城ロボッツ、B.LEAGUE photo by IBARAKI ROBOTS, B.LEAGUE

今季限りでロボッツのアシスタントコーチを退任する岩下桂太と、クラブOBである一色翔太による特別対談の第2回。前回は、2人が出会うきっかけとなった「つくばロボッツ」時代に的を絞って話を進めた。今回はいよいよ2016年のBリーグ開幕を経て始まった「指揮官と選手」という時代を振り返る。「茨城ロボッツ」というチームとしての成り立ちに大きく関わった2人が見ていたBリーグ、そして「B2」の景色とはどのような物だったのか。今回は、Bリーグ開幕から、一色がチームを去るまでの2年間の足跡を追うことにする。

華々しい開幕の裏で

Bリーグに「茨城ロボッツ」として参入したチーム。岩下はヘッドコーチ、一色はキャプテンとして初年度のシーズンに挑むこととなった。

岩下「(一色は)人間として素晴らしくて、キャプテンを任せたい、と思える人柄だったんです。Bの初年度でキャプテンを任せたわけですし。」
一色「僕からすると、あの若さでヘッドコーチになるような人っていなかったわけです。つくば時代の危ない状況を任されて『大変だろうな』という感覚もありました。ロボッツができる前の時代、一緒に練習をしたこともあったんですけど『もうヘッドコーチやってるわ!』って感覚でした。責任感も強いから、全部自分で組み立てていましたしね。」

岩下はBリーグが開幕を迎えた2016年10月の時点で28歳。当時のB1・B2の全36チームの中で最年少HCだった。当時、30歳以下のHCに限定して絞り込んでも、三遠ネオフェニックスの藤田弘輝(当時30歳、現・仙台89ERS・HC)、岩手ビッグブルズの上田康徳(当時29歳)、熊本ヴォルターズの保田尭之(当時29歳、現・滋賀レイクスターズ・AC)、そして岩下と4人しかいなかった。

一方で、ロボッツがB2の舞台に残ったことが、一つの奇跡でもある。NBL時代にメインの本拠地として使用していたつくばカピオアリーナは、B2基準の3000人収容の基準を満たさない。当時、つくば市では行政が主体となった運動公園の整備計画が持ち上がっており、実現した際にはロボッツがそこに建設される新体育館をホームアリーナとする算段だった。ところが2015年8月に行われた住民投票の結果、整備計画が白紙撤回されることとなってしまい、ロボッツのBリーグ参入はいきなり暗礁に乗り上げてしまう。チームはこの緊急事態を受けて、水戸市の青柳公園市民体育館へのホームアリーナ移転を決断。行政からの支援を取り付けて、Bリーグ入りへの足がかりを得ただけでなく、Bリーグ開幕を控えた2016年4月には現在のオーナーである堀義人がチームの取締役に名を連ねるなど、今に続く経営体制が構築されていくことになる。

今でこそB3リーグは上位リーグ参入を目指すプロチームがしのぎを削る舞台という見方がされているが、当時はBリーグ参入を果たせなかったプロチームと、そもそもプロ志向を持たない企業チームとによるプロアマ混成リーグの性格が強かった。初年度のチーム内訳を見ると、プロチームが5つに対して企業チームが4つ。もしそこがスタートとなっていれば、今のロボッツの姿は無かったのではないかと2人は推察を立てる。

岩下「今にして思えば、本当に水戸に移って良かったと思うんです。」
一色「NBLは当時のトップリーグだったので、そこからB2・B3となった時点で、チームを離れると決めた選手もいたわけです。『B1でいたい』という想いもあったでしょうし。結局、NBLからBリーグになって、残ったのは僕と夏(達維。2020年引退)さんだけだった。」
岩下「ただ、それ以上に新しい選手たちも来た。(選手のリストを見て)懐かしい…。」

この当時ロボッツに加わったメンバーを見ていくと、眞庭城聖(現・山形ワイヴァンズ所属)や河野誠司(2022-23シーズンは愛媛オレンジバイキングスに所属)など、現在もBリーグでプレーを続ける選手たちの名前が出てくる。この他、元日本代表のビッグマン・佐藤浩貴(2020年引退)を獲得するなど、着実に戦力を整え、B2での戦いに備えようとしていた。

そして2016年9月22日、国立代々木競技場第一体育館でのアルバルク東京対琉球ゴールデンキングスの一戦から、Bリーグとしての歯車が動き始める。

岩下「B1の開幕戦はテレビでやってましたもんね。」
一色「キングスとアルバルク。けど、僕たちは2部だったのもあって『始まった』って感じは無かったですね。」
岩下「ただ、チームの環境も整ってきて、『やっと一つになってスタートを切ったな』って感じはありましたね。」

青森ワッツとの開幕節を1勝1敗とした後。10月に入っての第2節に、ロボッツがこのシーズンのホーム開幕節を迎えた。対戦相手はbjリーグから参入した、岩手ビッグブルズだった。当時のホームアリーナは青柳公園市民体育館(現・リリーアリーナMITO)。開幕戦は2079人を集め、アリーナが熱気に包まれた。

岩下「あの試合は、確かに結構覚えているんです。青柳に2000人入ったことも覚えています。(スコアを見て)あの時は眞庭が控えだったのか…。」
一色「彼、シーズン前に3x3でケガしたんですよ。そのシーズンの3x3には僕も参加していたんですけど、眞庭がケガしたことでチームが僕にストップをかけたのを覚えています。『ケガしなきゃまだ3x3出られたのに…!』って思いましたよ(笑)」

チームとしては浮き沈みが激しい1年となり、最終成績は32勝28敗で、東地区2位となる。最終節での対岩手2連戦に向けては、全選手が参加してのチラシ配りを行っての集客の結果、開幕節を上回る観客が集まり、連勝を収めてシーズンを終えた。個人成績を見ると、3ポイント成功率で一色がB2全体の2位にランクインしたほか、シーズンを追う中でメンバーの成長も見られた。終盤戦の20試合を17勝3敗の好成績で駆け抜け、翌シーズン以降への流れを掴んだようにも見えたのだった。

個性派集団の記憶

Bリーグ以降、あるいは近年のロボッツだけを見てきた人からするとそのイメージがつかないかもしれないが、この頃のロボッツのメンバーは「個性派集団」と言っても差し支えない状況だった。つくばロボッツ時代から在籍していた夏達維は高校・大学でバスケット部に所属せずにプロ入りまでこぎ着けたほか、Bリーグ以降に加入した眞庭城聖(現・山形ワイヴァンズ所属)は大学卒業後に一度5人制競技から離れ、ストリートボールの第一人者として名を挙げてから5人制へとカムバック。大友隆太郎(現・ベルテックス静岡所属)も高校時代部活ではなくクラブチームでのプレーを選んだ後、一般入試で入学した筑波大学でキャリアを積み、プロへの扉を開いた。彼らに代表されるように、決して「王道」を歩んだわけではなく、一風変わったキャリアを歩んだ後にロボッツの一員となった選手がいたことも見逃せない。その頃の記憶は、2人にはどう映っていたのだろうか。

一色「NBLにいた当時のロボッツは戦力的に恵まれていたわけではないので、上手くいかない試合も多い。その中で個性的な人ばかりいたから、結構練習や試合でも、意見を言い合うことが多かった。そこをまとめるのは大変だったよね…。」
岩下「夏が入ってきた時なんて、彼は最初10日間だけの契約をしていたんです。『THE・かき集め』です(笑)。」
一色「ただそこから勝ち始めて、形にはなっていったよね。」
岩下「2014-15シーズンの初勝利が和歌山(トライアンズ)戦だったんです。あれは感慨深いですよね。」

Bリーグ参入後、そうした部分には一定の落ち着きが出る。ところが、今度はチームができていく過程の中で、新たな悩みのポイントに当たることとなった。

岩下「外国籍選手には相当苦しんだんですよ。」
一色「だから、勝ちきれなかったんだなって思うぐらいです。」
岩下「2020-21シーズンのように、安定したパフォーマンスの選手を獲得できた時は勝てているわけです。スクーティー(アンドリュー・ランダル。現・ファイティングイーグルス名古屋所属)が2016-17シーズンに来てくれた後、2018-19シーズンにもう一度来たこともありました。」
一色「恐らく、想定していたチーム通りにはならなかったんだよね?ケガで試合に出られなかった外国籍選手がいたのを覚えている。」
岩下「そう。元々の編成と、実際のチームが違う形になったことで、スクーティーの2回目の加入につながった。」

2人が話すとおり、実際、B1昇格を果たした2020-21シーズン以外、ロボッツは常にシーズン途中で外国籍選手の入れ替えを行うようになっていく。もどかしさも見え隠れしたまま、時間が過ぎていった。

一方で、この当時のトピックとしては、2016-17シーズンの途中に選手兼任アシスタントヘッドコーチとしてチームに加入した岡村憲司の存在を語らないわけにはいかない。その後スーパーバイジングコーチ(SVC・監督)としてチームの指揮を行うことになるのだが、当時の思い出にも会話が及んでいく。

岩下「僕が率いて2016-17シーズンが始まって、シーズンの途中に岡村さんがやってくるわけです。このシーズンに関しては、彼と戦術などを相談しながら進めていたのですが、なかなか勝てない。ホームで愛媛に負けた、2017年の2月に立場を変えるということになり、岡村さんが指揮を執ることになったわけです。」
一色「岡村さんは、当時選手としてもやっていました。なので、普通のチームのように『コーチと選手』という形ではなかったし、岡村さんはベンチにいながら選手用のジャージを着ていました。コーチとしては難しくなかったですか?」
岩下「難しかったですけど、良い経験だったとは思います。岡村さんは選手兼任なので、悪い流れを変えようと急にベンチを飛び出していく。そうすると僕に指揮権が移ることになるので、そこからのタイムアウトや交代は、僕が考えてしなくてはいけないんです。ただ、コート上には監督が選手として立っている。コート上とベンチとで、互いの考えが違う瞬間もある中でゲームが進んでいくので、終わってから意見交換をすることもありました。」

若き指揮官にとっては、イレギュラーなシーズンの過ごし方となり、苦労も少なくなかっただろう時期。ただ、この頃の経験が、後にアンソニー・ガーベロットやリチャード・グレスマンといった指揮官を迎えた体制の下で、アシスタントコーチとしての岩下を形作っていったと考えることもできるだろう。

複雑だった「17連勝」の舞台裏

Bリーグ2シーズン目となる2017-18シーズン、ロボッツはシーズン終盤に快進撃を見せて、逆転での中地区優勝、そしてB2プレーオフ出場に向けて勝ち進んでいく。当時のB2プレーオフの出場レギュレーションは、東・中・西の各地区の地区優勝チームとワイルドカード1チームという組み合わせ。ワイルドカードでの出場枠は熊本ヴォルターズが手中に収めていたため、ロボッツがプレーオフに進むには、中地区で首位に立つファイティングイーグルス名古屋を逆転しての地区優勝を果たすしか選択肢が残されていなかった。結果、この顛末は「いわきの悲劇」と称される、シーズン最終戦のアウェー・福島ファイヤーボンズ戦での敗戦で幕を下ろすのだが、今だからこそ、2人に当時を振り返ってもらう。

一色「あのシーズン、僕はそこまでプレータイムが無かったんです。そんな僕の感覚としては、17連勝という中でも、実はそこまで雰囲気が良い、というわけではありませんでした。『チーム一丸』という感じには、どうしてもなれなかったんです。」
岩下「練習から、レギュラー組とサブ組が完全に分かれていたのを覚えています。サブ組のコーチングは僕に任されていました。」

当時のチームの練習スケジュールを振り返ると、少し異次元の域に達していた。

一色「当時、練習からバチバチの雰囲気になるようにしていたと思うんです。練習の時点で試合をしているように争っていく。ただ、試合の直前なので当然ケガはできない。その中でも『レギュラー組を負かせてやろう』となっていたので、熱のこもった練習ではありました。」
岩下「練習が長かったね。午後1時から5時まで体育館を取っていたとして、時間いっぱいまでやる。」
一色「言っても、プロチームの練習って2時間ほどやれば、あとはフリーになってシューティングや技術練習をしていくわけです。ところが、もう時間枠の頭から最後まで5対5をやり続ける。」
岩下「みんな疲れていた。ただ、当時フィッツという選手がいたんです(トアーリン・フィッツパトリック。このシーズンの途中に加入)。あのシーズンも、彼が加入してからチームがハマりだして、勝ち始めていったわけです。また、チュウ(チュクゥディエベレ・マドゥアバム。現・トライフープ岡山所属)もいて、彼の性格の良さもあった。」

B1への道を切り開くまで、あと1勝すればその舞台に臨める。ただ、その挑戦を懸けた試合に敗れたことで、このシーズンは幕を下ろす。そして、一色は足かけ4シーズンを過ごしたロボッツを退団。B3リーグ(後に地域リーグに転籍)の東京海上日動ビッグブルーで2シーズンをプレーして、現役生活に別れを告げることになる。彼以外にも、前田陽介(2020年引退)や山口祐希(2022年引退)、さらには当初契約継続が予定されていたリック・リカートも引退を決めるなど、多くの選手がこのオフでロボッツを去っていった。4年の月日が流れた段階で、いわきの悲劇を経験して現在もチームに在籍している選手は、その試合で40分フルタイムでのプレーを続けた、#25平尾充庸ただ一人という状況になった。

岩下も、そうして起こる出会いと別れを、チームに残って見送り、迎える側として過ごしてきた。そうした時期は、どうしても感慨深くなるという。

岩下「シーズンの終盤に、寂しくなるんです。『このメンバーであと何試合できるだろう』って。いつもそう思わされます。基本的に、優勝したとしても同じメンバーで2シーズンを過ごすことはないんです。実際にチームを離れるような時期は、どうしてもバタバタしているので。『あと5試合で今シーズン終わっちゃうんだ…!』って気持ちが出る一方で、『もう5試合しかこのメンバーで試合できないんだ…!』っていう気持ちも感じますよね。」

2017-18シーズンを終えたあともチームに残った岩下。その後もヘッドコーチという肩書きのまま岡村SVCを支えていくのだが、翌2018-19シーズンの途中に、急転直下の出来事が彼を待ち受けていたのだった。

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